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すずかパパ

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2019.05.11    カテゴリ:  お出かけ 

   橿原神宮

日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地とされた橿原。
神武天皇が豊かで平和な国づくりをめざして畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建。第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のこと。

神武天皇が国内を統一し、畝傍山の東南・橿原の地に皇居を造られ即位の礼を行った。
明治時代に入り天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという思いから、橿原の地に神宮創建をという請願が民間有志より出され、明治天皇がこれを深くほめたたえ、元京都御所の賢所と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮として鎮座した。

記憶に新しいところでは、平成31年3月26日 平成天皇皇后両陛下が退位を報告されました。
陛下はモーニング姿で皇后さまも洋装で順に参拝されました。



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2019.05.07    カテゴリ:  お出かけ 

   西国三十三か所 第七番札所  東光山 岡寺[龍蓋寺]

岡寺とは通称で、正式には東光山真珠院龍蓋寺(りゅうがいじ)という。
およそ1300年前の天智天皇2年(663年)、義淵僧正が天智天皇から草壁皇子の邸宅だった岡宮の旧跡を譲り受けて建立したのが始まりで、この宮跡に由来して岡寺と呼ばれている。
一方で龍蓋寺の寺名は、この村に出没して農民を苦しめていた悪龍を、義淵がその法力で池に閉じ込め蓋をしたところから付けられたという説もある。
岡寺は日本最初の厄除け霊場として知られ、鎌倉時代の歴史物語「水鏡」の冒頭にも記されている。

上り坂の賛同を進むと仁王門がある。仁王門の四隅に突き出た隅木には獅子や龍の豪華な装飾が見られる。石段を上がると左手に本堂や開山堂が点在。本尊の如意輪観世音菩薩坐像は身の丈4.6mといった日本の塑像の中で最大で、日本三大仏の一つに数えられている。またシャクナゲが境内に咲き誇り花の寺としても知られている。

隣接する治田神社は近年まで「八幡」だった神社で、鳥居は岡寺参道の下にあり、岡寺の鳥居だと思っている方も多い。

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2019.04.30    カテゴリ:  お出かけ 

   平成最後の御朱印は...

平成最後の日に、地元の藤井寺で御朱印をいただきました。
明日からは国宝 千手観音菩薩の御開帳があります。

それにしても、昭和から平成に変わるときよりも、平成から令和になる今日の方がすがすがしく思うのは、やはり生前退位のおかげなんでしょうね。
思い出すと、昭和から平成になるときは中学生でしたが、初めての通帳を作りに銀行に行ったのを覚えてますね。新しい元号が決まってなくて、通帳の1段目には「64.〇.〇」と記帳されていたのを覚えています。

さて、令和最初の御朱印は どこでいただこうかなぁ。
そして、どんな令和の時代を過ごすことができるんだろうかなぁ...

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2018.11.25    カテゴリ:  お出かけ 

   今日はデート...

今日は奥さんとデート。

という名の、半分仕事みたいな感じでしたが(;^ω^)

会社の労働組合で周年記念誌を作成するということで、大阪をイメージする写真が欲しいと無理難題をいただきました。
それで奥さんを連れて散歩がてらに撮影へ。

まずは あべのハルカスへ。
どこから見るハルカスがきれいなのかなぁと悩みながら散歩。

そこから新世界経由で通天閣へ。
これも どこからがいいのかと右往左往してました。

そこからミナミへ。
道頓堀らしい写真を求めて行きましたが、とてつもない人の数で撃沈...

本当は京セラドームへ行こうと思ったんですが、今日は大阪マラソンだということを忘れていて移動できず、ここで終了。

ま、たまの奥さん孝行できてよかったかな(;^ω^)

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2018.09.29    カテゴリ:  お出かけ 

   西国三十三か所 第十四番札所  長等山 園城寺[三井寺]

大津の長等山中腹に広がる三井寺。その広大な境内の南端に第十四番札所の観音堂がある。

天台密教が息づく厳かな伽藍中心部に比べ、観音堂はのどかで庶民的な雰囲気が漂う。

創建は古く飛鳥時代にまで遡る。朱鳥元年(686年)に弘文天皇(大友皇子)の子、大友与多王が「荘園城邑」を寄進し、堂宇を建立したのが始まり。



石組みで名高い穴太の石工たちが築いた石垣を見ながら参道を進む。

境内でひときわ威容を放つのが金堂(国宝)。七間四方の大堂で慶長4年(1599年)に北政所が再建したと伝わる。
金堂前の鐘楼は近江八景の一つで名高い「三井の晩鐘」。弁慶ゆかりの「弁慶の引き摺り鐘」も残されている。

金堂の向かって左には霊泉の湧き出る閼伽井屋がある。この井戸は天智、天武、持統天皇の産湯を汲んだとされる。そのことから「御井(三井)」と呼ばれるようになり、三井寺の通商の由来となった。



観音堂は境内の南端にある。明治時代まで三井寺の参詣は、この観音堂を除いて庶民には許されなかった。しかも境内は女人禁制。それだけに古くから庶民に親しまれてきた堂である。


浜大津駅から少し細い道を抜けて駐車場に入ります。駐車料金は500円。駐車場は豊富にあるので満車になることは少ないと思います。
拝観料は600円。入口にある仁王門で支払う。
広い境内をゆっくり見て回ると、2時間ほどかかる。
春の桜の時期か、秋の紅葉の時期が一番見どころだと思います。


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2018.05.08    カテゴリ:  お出かけ 

   西国三十三か所 第一番札所  那智山 青岸渡寺

本宮、新宮、那智山は熊野三山と呼ばれる信仰の地。那智山の社寺領はかつて1万km2で、烏帽子山から船見峠、妙法山周辺までが含まれていたという。


青岸渡寺は寺伝によるとインドの僧 裸形上人が修業の場を求めて川を進み、那智大滝に辿り着いた。高さ133mの滝に感動し修行していると、滝つぼに観音を感得して庵を結んだのが始まりと伝わる。
推古天皇には大和の生仏上人がこの地で修業中、椿の大木に高さ約4mの如意輪観世音菩薩を刻み、伽藍を建立して安置した。この観音像が「那智の観音さま」として庶民の信仰を集めた現在の本尊。
天生9年(1581年)、織田信長の兵火によって全山が炎上。本堂は天生18年(1590年)に豊臣秀吉によって再建された。明治の神仏分離令によって一時は荒廃するが、その後 如意輪堂を本堂とする青岸渡寺として、熊野那智大社と分離して復興した。


約500段の石段が続き、両脇にみやげ物店が並ぶ表参道を上る。左が那智大社、右が青岸渡寺へと二つに分かれた参道を右に折れ、朱色が鮮やかな参道へ。
世界遺産の青岸渡寺で、国の重要文化財に指定されている本堂の屋根の修復工事が進められているため、現在は工事用足場で囲まれている。「こけらぶき」の屋根は台風による傷みが酷く、5月下旬ごろから 葺き替え工事に入る。


神秘的な那智大滝を眼前に望む西国三十三か所 第一番礼所。太古の自然が息づくこの地から巡礼の旅が始まります。


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2018.05.06    カテゴリ:  お出かけ 

   那智御瀧 飛龍神社 熊野那智大社

熊野神社の総本官で、太古から神と崇められた那智の滝と日本の神々を祀る。那智原始林を背に、鮮やかな朱塗りの拝殿と6棟の本殿が並ぶ。
本殿には主神・夫須美神のほか、十二柱の神々が祀られている。


西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸した。一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあて、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体として祀られた。
神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へお入りになられ、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位した。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいると言われている。(烏石)
その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしておりましたが、仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷し申し上げました。これが熊野那智大社の始まりとされております。

尚、西国礼所 第一番札所の青岸渡寺と隣接しており、現在 社殿の改修工事が行われており、社殿の姿を見ることはできません。


熊野三山でもある速玉大社と那智の滝には時間の都合で行けず...それだけが悔いが残ります(^_-)

http://kumanonachitaisha.or.jp/



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